This Archive : 2012032012.03.31 *Sat*
百年文庫 妖 坂口安吾 他
「夜長姫と耳男」 坂口安吾 長者が金にあかせて丹精して育てたヒメのための持仏を造らせるために、三人のタクミが集められた。親方から想像もしていなかった褒め言葉と推薦を受け、長者の元へやってきたヒダのタクミの耳男だったが、褒美とされた女への鬱屈、ヒメの無邪気な笑顔に抗するために、禍々しい化け物のような馬面の仏像を作ろうと、大量の蛇の生き血を啜り、その血を仏像に浴びせかけた。 その像は確かにヒメの気にいった。しかしヒメの恐ろしさは、耳男が思っていた以上で、殺されないためにヒメの像を造らせて欲しいと嘆願する辺りから、この世のものとは違うような、怪しくも美しい世界が壊れていくように思えた。御伽話のようだったのが、急に生々しく、確かに「心が重く」なったように感じられた。 像のために死ぬ覚悟だった耳男は、耳を切り取られても、帰れ逃げろと言われても、居座ったのに。ヒメが恐くてしょうがなくなったら、殺されたくないし、逃げたい。 それがラスト、ああなったのが唐突な気がした。ヒメも耳男を特別に想っていたのか、そういう訳じゃないのか。 無数に吊るされた蛇の死骸が風にそよぐ高楼の描写が恐ろしい。 「光る道」 檀一雄 衛士の男は帝の三の宮に頼まれて、貴い姫を攫って逃げる。酒壺が並ぶそばで瓢箪が風に西に東に揺れるのが見たいという、ただそれだけのために、姫を背負って走り続ける男だったが、こっそり侵入した山小屋の持ち主らしき夫婦に見つかり、なりゆきで殺してしまう。 業平の例に倣っているのは、露の問答からも分かる。けれど、姫が現実離れした幻のような美しさと、生身の女である間をふわふわと動いていて、なんとも魅力的。無邪気というよりも挑発的ですらある。 そこに恋愛感情のようなものは当然あるはずもなく、粗末な食事をし、身体を合わせて、どちらかというと動物を飼うような情が育った感じだったのではないか。特に姫にとっては。 それに屈服しつつも、反旗を翻すような形で、男は三の宮をも手にかけたのかなと。 「秘密」 谷崎潤一郎 通ったことのない通り、知らない町、オカルトやミステリや血の匂いのするような秘密に耽溺し始めた男は、たまたま見つけた女物の小紋に魅せられて、夜な夜な女装をして出歩くようになる。そこでかつて捨てた女と出会い、交流を復活させるが、女は決して住処を明かさず、目隠しをして男を誘うのだった。 怪しげな薬やら刃物を持ち歩くとか、今も昔も老いも若きも、そういうのに魅せられたらとる行動はどこか似通ったパターンがあるのかもしれない。 そこまでは、美しくあやしい夜に浮かれる子供のような愉しさがあるが、そこでかつての付き合いのあった女に出会う。しかも自分ではなかなかのもんだと思っている女装姿で、その女に負けたと感じる。負けたままだと悔しいので、今度は男として、その女をもう一度屈服させたいという、極めて男らしい行動に出るのだ。 秘密を持ち、秘密の中に隠れるようにして、何重にもなれる存在を愉しんでいたはずが、今度は一転、秘密を暴く側になってしまう。これは愉しくないだろうし、美しくもないだろうと思う。 秘密などでは満足できなくなった、と最後に男はうそぶくが、それは決して優れた良い方向への進化ではないように思う。 2012.03.31 *Sat*
山のトムさん 石井桃子
戦後、北国の開墾者として山の家に住み始めたトシちゃん母子と、知り合いのおばさんと、甥のアキラさん。 分からないことだらけながらも、力を合わせて畑を耕したり、家畜を飼ったりしていたけれど、やがてネズミに悩まされるようになります。 キリのない被害にとうとう猫を飼うことを決めて、そこでもらわれてきたのがトムさんでした。 * 詳しいことは書かれていませんが、戦後ということからと、血縁のない者たちが集まって暮らしていることから、なんとなく家族が亡くなった者同士で寄り集まっているのかな、と思わされる。多分、都会の、それなりに教養のある家庭だったのではと思われる。 けれど、トシちゃんもアキラさんも淋しがったり泣き言を言ったりもしない。お母さんもおばさんも、少ない食料や暑さ寒さの中、なんとかやり繰りをしているのだろうけど、そんな場面はさらりと過ぎてしまう。 そもそも猫が好きではなかったから猫を飼うのに乗り気ではなかったのに、トシちゃんの大事なお雛様が齧られ、トシちゃんが大泣きしてやっと猫を飼うことになったというところからして、なんだか切ない。 さて、やってきたばかりの子猫のトムは、人の布団に潜り込んだり真ん丸な猫らしくない目をしていたりと、とても可愛らしいのだが、迎える人間の方があまり経験がないとのことでおっかなびっくりなのが楽しい。 猫の母親に代わって狩の仕方を教えねばなるまいとカエルをとってきて練習させたり、犬のようにあちこちついて回るようになったり、ネズミとりも上手くなりしっかり家族の一員としての場を占めていく。 けれど、病氣になったら、山に置いてきちゃおうか、とか、どことなく愛玩動物とは違った空気も感じる。抱っこしたりしたらネズミを狩らなくなるという説のせいもあるかもしれないが、物語自身の視点も、一番幼いトシちゃんというよりもトムを可愛がるおばさんのもののようだ。 トシちゃんやトムさんが主人公、というよりも、この一家族全体にトムさんが吹き込ませた暖かい風のような。気持ちが緩むような話だった。 2012.03.30 *Fri*
クヌルプ ヘッセ
決まった職にもつかず、家庭も持たず、気楽に放浪の日々を続けるクヌルプ。 旅の途中で出会った友人達や娘たちとの愉快な思い出と共に生きるクヌルプだったが、優秀なラテン語学校の生徒だった彼がそんな人生を選択したのには訳があった。 病に侵され、残り少ない日々を惜しむかのように歩き回るクヌルプに神が応える。 * 友人達がちゃんとした職を持ち、地位を持ち、家族を持っているところに、ちょこちょこお邪魔したりして放浪しているらしいクヌルプ。様々な技術を器用に身につけてて、身だしなみに気を使う洒落者、音楽などの嗜みもあり、言ってしまえば俗っぽさがなく垢抜けている。 そして見た目もなかなか良いらしい。 どんな人生を選ぼうが勝手だが、例えばロートフースの奥さん。もちろん誘惑した訳ではない、けれど拒んでもいないように見える。 それなのに、内心ではクヌルプに好奇心を持って寄ってきたロートフースの奥さんを軽蔑しているし、世話になっておきながらどうも時々友人達への軽蔑が見え隠れする。単に羨ましいという気持ちの裏返しでもあるのだろうが。 なんというか、クヌルプに対して妙に腹が立った。 楽しいこと、軽快にきれいなこと、表面的なことばかり、という気がして。この人にとってはたくさんの知り合いも恋人達も、面倒に重々しくなったらぱっと離れたいものなんだなと思えた。 最初の、年上の好きな女の子に裏切られたという始まりにしたところで、おざなりな同情しかできない。 それなのに孤高に生きる訳でもなく、調子良く人と関わりを持とう持とうとする。一体、お前はなんなのだ、罪の意識はないのか、神が認めて肯定したからといって、なんだか釈然としなかった。 と、まあ、これだけ時代も国も違う小説上の人物にこれだけ怒れたのも珍しいかな。 結局、このクヌルプへの怒りは全部自分に返ってくる。正しい読み方かどうか分からないが、そういう意味ではぜんぜん爽やかではない、苦しい本だった。 2012.03.28 *Wed*
百鬼夜行 陽 京極夏彦
京極作品の語られなかった登場人物たちのエピソード(人生? 過去? 物語? それは本当に存在した?)を集めた短編集。 あれ、こんな登場人物いたっけ、と若干不安になったりもしたけれど、どうやらこれから刊行予定の京極堂シリーズの話も混ざっているようだった。新刊が楽しみに待たれる。 だいたい、視点の誰かともう一人の誰か……との対話で話が展開する、誇らかなマンネリの短編集で、特に知らない登場人物だと愛着が持てないというか、他人のように感じるので、些かつまらなく感じたりも。 そういう意味では、やはり楽しい童子みたいなセツが出てくる話や、榎木津の話、あと最初の中禅寺の出てくる「巷説百物語」とも関わっていそうな話が面白く読めた。 あとは、怪談だったり運命の瞬間だったり、何か特別な動きのあった時を描写する。 同じように連なる、つまらない、くだらない、負の感情がどろどろと溜まっている過去から何かが浮上した瞬間。 それは嘘とも真実ともつかない過去が物語として結実した一端であり、一人一人のたいしたことのない端役が、確かに役目を果たした瞬間でもあったのだろう。 しかし、こう憂鬱になりそうなくらい変化のない、でろでろとした感情を、ひねくり回しこねくり回しして人は生きているんだなぁと、私には現実のものとして信じられるし、馴染みがある。 誰もが同じような人間で、怖いものが違ったり性質が違ったりするだけなんだな、と。 2012.03.27 *Tue*
ヨーロッパ思想入門 岩田靖夫
自由と平等を自覚し、個人を重んじる。理性によって、変容する世界を貫く本質を捉えようとする試みが、古代ギリシアにおいて文学においても哲学においてもなされてきた。 神々は人間の理想の姿であり、勇敢で美しく、生を楽しむ。弱さや醜さも時に体現する。 そしていつか死ぬ人間と違って、不老不死の神々が人間性を持つとそれは永遠に残る。それは、人間の肉体と精神への高らかな賛美だ。それらを人間性の本質と捉えていたのかもしれない。 非がない、逃れようがなかった運命として書かれる悲劇、それをわくわくして見ている神々。 死すべき存在だからこそ、到達し得なかった蒙昧な人間の知のため、あるいは連帯の罪によって、悲劇は起こる。それを見聞きするときに擬似的に神の視点を得るのは、今も昔も変わらない劇や物語の効用なんだろか。 ギリシアの思想に対して、ヘブライの信仰。ユダヤ教とキリスト教。思想というほど神学的な議論がされてないから?か、思想ではなく信仰。 他者への愛、について。 自分は何も持ってはならず、決まりや頑ななものは人間性を阻害するとする。 だから自分自身をも捨て去り、無垢な弱々しい自分をさらけ出すことによって、他者への愛を持つ。キリスト教が弱者の宗教と言われるのが、なんだか分かったような。 人間を普遍的なものとして総括しない、一人一人が神であり、かけがえのないものであるという信仰は、上下関係を作らない(形而上の存在は神だけ?) ギリシア思想の、能力主義なところ、一人一人の義務が尊重されていて役割のためには当然死なねばならなかったり、あるいは普遍的な本質を探そうとするのとは違う。 というギリシアの思想とヘブライの信仰を行ったり来たりしつつ、変奏を奏でてきたのが西洋の哲学だとする本。 この二つの思考を踏まえてヨーロッパ哲学を見ると、どちらに寄った思想なのかということが感じられておもしろい。やっぱり近現代哲学になると途端に難しくなる。 内側に追求していっても、外側に探しにいっても、うーん……という気がする。けど、いつの時代も、幸福や善のために探求されてきたのはよく分かった。 十年も前じゃないけれど、多少古く感じる言い回しなどが。 2012.03.25 *Sun*
かなと花ちゃん 富安陽子
持ち主の女の子に忘れられ置き去りにされたお人形の花代ちゃんを、八百屋の家の女の子加奈ちゃんが見つけて家に連れて帰る。 預かっているだけ、だから、お母さんじゃなくてお姉ちゃんね……ということで、加奈ちゃんと花ちゃんの不思議な日々が始まる。 * 話すことができる人形と、人形の声を聴くことができる女の子との、運命的な出会いと友情の話。 花ちゃんの元々の持ち主は、もっと可愛いお喋りする人形が欲しかったと言い、花ちゃんにはどこか捨てられたような、それを認めたくないような寂しさがある。 加奈には、弟が三人もいるうえに家の手伝いもしなくてはならず、表面には表れていないけれど女の子らしい特別を大事にする気持ちがひっそりとある。 互いに、表立っては言えない(人形はいわないけれど)気持ちがあって、それを埋めあえるような関係として一致した、というような、なんとも収まりのいい安心感があった。 お祭りの縁日、あるいは宅配にいった時、夜中の人形劇といった不思議な出来事にいつのまにか脚を踏み入れてしまう加奈と花ちゃん。 どれも近所と地続き、日常の延長といったところにあり、近くなのに少し異質。 どの話も広義の人形が登場してきて、加奈がそういう性質を持った子なのかなと思わされる。 人のような人じゃないような、そういうあわいに居るものへむける眼差しの優しさのようなもの。 それは人形好きには、なんとなく通じる感覚のような気がする。 決して家族が嫌なわけでもないし、登場しないけど友達がいないわけでもないだろう。 ただこういう内側の方向に向いたお話を読むと、静かな気持ちになれる。 2012.03.25 *Sun*
曽根崎心中 角田光代
馴染みの客に三十三カ所の観音参りに連れ出してもらった遊女お初は、中々会いに来てくれない間夫の徳兵衛と偶然の出会いを果たす。 お初と添う約束のため叔父夫婦の勧める縁談を断り、怒らせてしまっただけではなく、理不尽な借金を背負うことになったと嘆く徳兵衛。途方に暮れる二人の前に徳兵衛から金を騙し取った男が現れ、かっとなって掴みかかるがいいようにあしらわれてしまう。 徳兵衛に非があると噂され、またお初にも身請け話が起こり、二人はともに死ぬしかないと思いつめる。 * 近松門左衛門原作。の方はよく知らない。 十九歳という若さにして、遊女としてはそれなりに売れっ妓のお初はすっかり遊女としての擦れた心持ちになっている。 けれど、恋の願いが叶うという観音参りに出かけられて、願をかけながら恋しい男のことを考えることができて、年相応にはなやいだ気持ちになっている。子供のように戯れたり、空や風や、そういった他愛ないものに感動したり。 その爽やかさ、短くて勢いのある文体に、結末を知っていてもときめいてしまう。恋の嬉しい気持ちがすごく伝わってくる。 遊女の恋の馬鹿馬鹿しさ、辛さ、依存性。どれ一つとして理解できるとは言えないが、生まれ変わりを信じて見たり、いや生とは一度限りなのだと思って見たり、恋をするのは馬鹿だと罵ってみたり、恋のない人生なんて犬にでも食わせてしまえとまで思ったりする。 機能的に正常で、理性的な判断ができなくなることを恋というなら、なるほど恋とは確かに病なのだろう。 お初が徳兵衛を愛しく思いながらもどこか情けなく思う時があったり、最後の最後で疑いを持ってしまったり。 幼く無知でありながら、いろんな表情をめまぐるしく見せるのに目が離せなくなる。それに比べると、徳兵衛のうつくしさとかは、よく分からない。所詮、人の恋は分からないものだ。 ちょっとファンタジックで感傷的に感じられそうな最後も、たくさんの女達がきゃいきゃい騒いでいる場面がたくさんあるので、素直に感動した。泣ける。 2012.03.25 *Sun*
ジェイン・オースティンと「お嬢さまヒロイン」 植松みどり
容姿に恵まれていて、高貴な家柄、心映えももちろん優れている、そういうまるでおとぎ話に出てくるかのような女の子「お姫さまヒロイン」に対して、中産階級で普通の女の子なんだけど、その階級ゆえに窮屈な思いをしいられているオースティンの小説の主人公達を「お嬢さまヒロイン」とし、作者自身のヒロインへの言及などを取り上げながら、代表的な六作品から介錯するオースティン論。 ただあるがままに描写しただけだと揶揄されたりもするオースティンの小説を、本当にそんな美しいだけのつまらない小説なんだろうか、という疑問からスタートする。 作者自身が象牙細工に例えた小説の中に潜むするどい視線、皮肉めいた問題意識を「象の牙」と呼び、各作品の象の牙を探していくような掘り下げ方。 小説しか読んでないと、象の牙をわざわざ探し出そうとしているようにも見えるが、作者の残した他の文章と合わせて考えてみると、なるほどとも思えた。 誰もが好きになるというヒロインを本当にみんな好きなのだろうか。 何もかもが上手くいったかのように思える結婚は、本当に完璧な幸福なんだろうか。 そもそも、恋人同士双方の気持ちは当てになるのだろうか。 そういう疑問や不安は誰もが持っていたことだろうし、象牙細工の元になるのが象の牙なのだから、「象の牙」というのはなんら特別なことではないのに誰もが見過ごしてしまいがちな、そういう視点なのかもしれない。 地方ジェントリーのお嬢さま達は、たしなみや社交を求められつつも、財産権を持たず、たとえばその家に女の子しかいなかった場合、財産を相続することができなかった。男兄弟がいれば面倒を見続けてもらうか、それが嫌なら結婚するかしかない。 結婚するにしても、階級違いの結婚は体面的にとても躊躇われる。そして男は結婚したがらない。 この、感情をあらわにし(はしたなく)自分に素直になって恋愛のために努力する、ということが、簡単な楽しみではないということがひしひしと伝わってくる。 なんでも安易に「現代にも当てはまる」などとは思いたくないけれど、この世俗と自らとのプライドの兼ね合いというかなんというか。 その複雑さが、小説だなぁと感じるところかもしれない。 お姫さまほど特別ではないけれど、オースティンのお嬢さまヒロイン達はここぞというときに粘り強い。 財産をどれだけ持っているか、どれだけ健康で子供を産めそうか、教養の程度はどのくらいなのか。そういう点で評価されるのに慣れているところがまた、ヒロインをヒロインたらしめているところなのかもしれない。 2012.03.22 *Thu*
ダーヴィンと出会った夏 ジャクリーン・ケリー
1899年のテキサス州、異常な暑さに誰もが苦しむ中、こっそり川に水浴びをしにいく十一歳の女の子キャルパーニア。 キャルパーニアは、なぜ緑のバッタと黄色いバッタがいるのだろうと疑問に思うようになり、兄からもらったノートに観察記録をつけるようになっていく。 その頃話題になっていた本、ダーヴィンの『種の起源』を読みたいと思うキャルパーニアだったが、地元の図書館にはなく、諦めかけていた。 しかし、現役を引退し実験ばかりしている変わり者の祖父に事情を説明したところ、祖父は『種の起源』を本棚から取り出し、キャルパーニアに手渡してくれたのだった。 * 暑い暑い夏、ふとしたことから科学の楽しさに目覚めた少女キャルパーニアと、変わり者の祖父との秘密の関係めいた自然調査・実験の日々を描く。 兄が三人、弟が三人、比較的裕福でそれなりに厳しい母親の元で暮らすキャルパーニアは、女の子らしい裁縫やピアノといった文化的なことよりも、外で遊んだり本を読んだりすることが好きな言わば素直な女の子。 かといって、特別お転婆という訳でもない。 その普通さゆえに共感できるし、その普通さゆえに読み物としては盛り上がりに欠けるかもしれない。 図書館でもちょっと色眼鏡で見られていた『種の起源』がなんと家にあり、読むことができる!という感動。そこから祖父によって、知らなかった世界についてのことを調べて、推測して、論証していくことの楽しさを知っていくキャルパーニアの生き生きとした子供らしさが前半に描かれる。 そして、植物の新種を発見したかもしれないという、大きな出来事を機に、少しずつキャルパーニアの周囲に変化が訪れる。 それは兄の恋愛についてだったり、キャルパーニアに娘としての役割が求められるようになってきたことだったり。いつまでもこの家族のままではいられないのだということが、キャルパーニアに迫ってくる。 娘は娘らしく、いつか主婦になるための特訓と、夫を見つけるための社交界デビューをしなければならないというのだ。 確かに、優れた洞察力を持つキャルパーニアだが、学問の秀才という訳ではないし、それどころか学校でもちゃんとした教育も受けられているとはいいがたい。優れた女科学者の話を例にあげる祖父の話も、希望よりも虚しさを感じさせる。 なんだかんだいったところで、家族を悲しませることはできないし、突出して秀でている訳でもないキャルパーニアが科学の道へ進むのはどこまでいっても夢物語なのだ。 『種の起源』を手にして喜んでいたキャルパーニアは、終盤で『家事の科学』という本をクリスマスに贈られ傷つきショックを受けるが、この二冊の本の間にこそ、普通の、特別でない人間の生が表れているように思えた。 もちろん、現在では女でも大学に行けるし、好きな分野を学ぶことはこの時代よりもずっと容易だろう。 それでも、この頃に比べてずっとよくなった、というより、この頃も今も同じだな、という静かな諦めを読後に感じた。 一応、無垢に明るいラストの情景ではあるのだが…… 2012.03.19 *Mon*
じじいリテラシー 葉石かおり
職場の上司や仕事でかかわらなければならない「じじい」達を、オレオレじじい、うんちくじじい、肉食じじい、茶坊主じじい、9時5時じじい、耕作じじい、といったタイプに分け、それぞれの生態と攻略法を把握して活用してやろう! という内容。 長々としたタイトルが目立つ新書の中で、逆にこのシンプルなタイトルのスカッと爽快なことといったらない。 じじいに日頃嫌な思いをしている人は、このタイトルだけで視点が少し変わるかもしれない。 タイトル通り、中身も「じじい」と「リテラシー」という単語のオンパレードだった。 リテラシーって、読み取る能力というような意味で理解していたけど、この本では「活用する技術」として使っている。 技術というからには、さぞかし人間らしさのない冷ややかなことが書いてあるかと思えば、案外普通の、人間関係の基本的なことが書いてあるだけなので、内容的にはそれほど目新しいとか斬新とは思わなかった。 ただ、同じことを書いてあっても、それを素直に読んで実践してみようと思える本と思えない本がある。 筆者自身がファザコン体質でじじい好きといっているように、目上に甘えるということをうまく利用するのも、若い人に必要なことなんだなというのは素直に思えた。 新書一冊で何か変わるとか何か解るということはないだろうけど、それこそリテラシーの仕方次第といったところなのかも。 2012.03.18 *Sun*
謎の物語 紀田順一郎 編
「女か虎か」等で有名な、結末がどちらにも取れたり明確な解答が示されないリドルストーリーばかりを集めたアンソロジー。 どれも、ザ・小説と言いたくなるような、引き込まれる面白さのものばかりだった。 「女か虎か」を初めて文字でちゃんと読んだのだけれど、小説として読むならば、それほど結末に疑問を感じないような気がする……。書き方的に、どう考えても虎だろうって思える。 なので、この小説は、自分が王女だったらどちらを教えるか、恋人を信じられるかという読者レベルの話題として問題を落とすことで楽しむ話なんだろう。 続編ともいうべき「三日月刀の督励官」も、結末は分かっていても途中がどうだったの?という点が気になり、確かに誰かと話をしてみたくなる面白さ。 「女と虎と」は謎よりもそこに至るまでのものがたりが面白いのが、とても腹立たしい終わり方だった。 「謎のカード」は続編がなんだかオカルト要素になってしまったのが残念だが、この一編だけを読むなら、すごく気になる(笑) 何が書いてあったんだろう?と気になって気になってしょうがないので、むしろ続編はなんとも……。 「穴のあいた記憶」「ヒギンボタム氏の災難」は、なるほどちょっとしたミステリの短編の元になってそうで、展開が読める(けど、楽しいといった感じ) 八雲の「茶わんのなか」やダンセイニの「野原」は、とりたてて美々しく書いている訳でもないのに文章がうつくしく、「ジョコンダの微笑」はメロドラマに落ち切らない、ドラマチックさだった。 「園丁」はちょっとよく分からず、「七階」は病状が悪くなると下の階に降りていかねばならない病院の、なんとも恐ろしい話。 2012.03.17 *Sat*
ドッペルゲンガーの恋人 唐辺葉介
恋人の慧を病気で失うことになり、ハジは慧のクローン化の実験に携わっていた。クローンとして再生された身体に、慧の記憶をそのまま移した新しく生まれ変わったかのような慧と、今度こそ普通に幸せな生活を送ろうとするハジ。 ところが、実験は成功したものの、新たな慧は自分が本当に慧なのかということに疑いを抱きはじめる。 うまくいかなくなった二人の生活に追い討ちをかけるかのように世情は変化し、当然来るべくして破綻を迎えるかと思われたが・・・ * 主人公ハジの一人称で書かれる小説だ。この、特に何か目的がある訳でもなく、あえていうなら恋人のクローンの実験のために研究者となった青年に感情移入できるかといえば、難しいだろう。 単純な感情移入はできても、全体的な、特に何ものにも価値を見出していないような淡々とした世界を見る目は、なんだか気持ち悪い。有り難いと言っていても有難そうではないし、恋人を好きだと言ってもさほど好きではなさそうに見える言動。 そんなものは人それぞれと言ってしまえばそれまてだが、仮にも小説の一人称の主人公がそんな風だと、なんだかとてもふわふわと頼りない。 戦争をやっていたり、クローン犯罪が多発していたり、日々の大事と小事の比較が、うまくできないのだ。それは単純に日常を礼賛するのとは異なり、すぐにでもひっくりかえってしまいそうな盤の上に乗っていることを嫌でも感じさせる。 「死体泥棒」でも思ったが、この作家の書くカップルって、全然仲良さそうじゃなくて面白い。 思いやりと礼儀はあっても、全然共感とかなくて、いったい何が好きではどこが好ましいのか、さっぱり分からない。 それでも交わされる会話や行為なんかはちゃんと恋人のものだったりするので、そういう形としてあれば、中身は別にどうでもいいか、と思わされる。 けれど、一つのテーマとして、クローンとして生まれた慧は慧なのか、というのが、慧の大きな問題として立ち上がっている。それはそうだろう、死んでしまった自分の骨を見て、おかしくなっていく慧が、最終的に慧ではない人生を歩んでいくのは納得できる。 それこそ一卵性双生児の、環境要因などを引いてくるまでもない。 ところが、それをたいした問題じゃないと思うハジ。それどころか、新たに立ち上がったプロジェクトの実験体に志願し、自分も同じくクローンとして新たに生まれることを選ぶ。 そして物語は、新たに生まれたハジと慧が、なんとなく物理的にも精神的にも幸せになっていくという方向を目指して終わっていくのだ。 元々のオリジナルのハジは行方を晦ましている。つまり、小説としては視点の変更?が起こったような起こってないような、不思議なことになっているのだが、こんなにうまくいくのだろうな、これでいいのだろうか、という疑問に報いは得られない。 夢のような幻想のような、オリジナルのハジの言葉はあまりにも卑屈で、チカラを持たない。 何がおかしい、変だ、と思いつつも、この変化に乏しい生ぬるい世界ではそれも是と思えてしまう。 そんな変な話だった。 2012.03.15 *Thu*
奇面館の殺人 綾辻行人
同業の小説家と容姿が似ていることから、不思議な集まりの替え玉を頼まれた鹿谷。 断るつもりだったが、その会場となる別荘が中村青司の作であると知り鹿谷は俄然行く気になる。しかし、年に一度の大雪に見舞われ、その別荘「奇面館」は外界との連絡を絶たれた状況になってしまう。 * 館シリーズは全部読んでるはずだけど、全部曖昧にしか覚えていない。覚えていない→ストーリー性があんまりない→パズルっぽい→本格?……とミステリ好きの人には目を剥いて怒られそうなことをついつい思ってしまうほど、館シリーズの中でも特に奇面館はあっさりだった。 わざとらしいミステリの雰囲気もなく、吹雪の山荘ならではの緊迫した緊張感もなく、計画どおりなのかイレギュラーなのか分からない第二、第三の事件も・・・むにゃむにゃといったところで、拍子抜けといった感じだった。 館の主人の主義である、本質は表層にある、というのが起こった出来事と合わせて考えると面白かった。 探偵役の鹿谷が最初からキャストとして混ざっている点も、なんだか事件を容易に感じさせている点かもしれない。 中村青司の館だから何か禍々しいことが起こるのだ、という恐ろしさもあまり無い。 ので、やっぱりあとがきにあるとおり、軽い長編、パズルっぽいものとして楽しめばいいんだろうと思う。 現実としては、それでも十分奇なり、なのに、ミステリとしてみると凡庸に見えるというのもまた、作品がかぶった面に騙されているといってもいいのかもしれない。 2012.03.12 *Mon*
ラブストーリーセレクション10 恋愛詩集 赤木かん子編
赤木かん子の短編アンソロジーセレクションの、ラブストーリーセレクション。の、最終巻。 詩や短歌や川柳といった短い形の、もっとも原始的でありながらなおかつ洗練された文章の形態「うた」を集めた恋愛詩集。 初恋の歌、悲恋の歌、と対象とする児童にも身近なものから、結婚の歌と少し遠い感じのするものまで、古今東西の詩を収めている。 間に立原道造の詩の解説や、若松賤子の凛とうつくしい結婚を前にしての英文詩など「読ませる」ものを挟みながら、万葉集などの和歌の世界へと至る。 詩は、短くて分かりやすいものを取り上げているのかも。解説もなく、そのまま、それこそ体感すればいいのだろうと思うような。 詩という形式のせいか、あるいは異国のものだからか、ゲーテやハイネは仰々しく感じられる。でもそういうのが好きなので、自然に頭に入ってくる日本の作家のものよりやたら音読したくなったりも、する。 でも藤村の詩を暗唱する気持ち良さもまた、捨てがたい。 ロマンチックだったり悲恋だったり、というのに比べて、結婚になるといきなりある種の凄みが出てくるのは、女の歌だろうか。男の歌が無いのは片手落ちじゃないかとも思ったけど、適当なのが無いのかもしれない。 結婚という、どちらかというと結びつきや一つになるといった印象の出来事に、きっぱりと線引き、拒否の意を示し、その上で愛を語るんだから、これはしびれる。永瀬清子も好きな詩人。 和歌に関しての、恋とは夜にするもの(昼にするものではない)というのが、面白い。ある意味、人の領域ではないところのものだったんだなと。 あと月が無いと、会えないという物理的な問題とか。恋イコール夜を共にすることとか、秘めてるのやら秘めてないのやら。単純なのか健康的なのか、作者や書き手の恋愛観をそのまま露わにしてしまうのも、詩だからなのか。 2012.03.12 *Mon*
聴き屋の芸術学部祭 市井豊
個性豊かな面面が揃うT大学芸術学部。 特にアドバイスをする訳でもないのに、なぜか皆が話を聞いて欲しがる「聴き屋」体質の柏木の元には、話を聞いて欲しい人が群がってきては、勝手に話したおして帰っていくということが日常茶飯事だ。 そのため、芸術学部祭で起こった謎の焼死体の事件、模型破壊事件、なとなどの不可解な出来事を、探偵の真似事を好む友人の川瀬よりもちゃんと解決できてしまったりするのだった…… * 殺人事件が起こっていても、警察の操作が行われていない(あるいは描写されていない)と、日常の謎もののように感じてしまう。安楽椅子探偵もののようでもあり、日常の謎のようでもあり、割とテイストばらばらの連作集だった。 途中までしかない脚本をどう演じたらいいのか考えさせたり、模型部の模型が壊れた原因を明らかにしたりの話などは特に、犯人(というか事実を知る人)の告白によるところが大きいような気もしたり。がちっと、これしかない!ということもなく、ずっとこう思っていた事実が一回転する!というのでもなく。 普通にありそうな日々のことを、シンプルな出来事に分割して、別の舞台に取り上げて論じる面白さ。 プラス、色々聞き出そうとする探偵役ではなく、ただ相槌を打ってるだけの聴き屋がいつのまにか情報を集めてしまって、道筋を見つけ出すという、受け身的な面白さ、かなと思った。 もちろん、大学ものとしても読んでて楽しかった。 ただでさえ大学というところは変人には不自由しないところではあるのだが、この芸術学部のスマートに軽いノリが飄々としてて良い。 聴き屋の柏木が所属する、ザ・フールという怪しげな変人ばかりと言われるサークルの実態が今ひとつ明らかにならないのだが、それはこれからなのかな。 毎回毎回、二百人くらいいるという部員が徴収されて出てこれば馬鹿馬鹿しくって面白いのに、と思った。 やはり、表題作が好きかなぁ。 この空気の軽さ、悲嘆のない反射のような会話のやりとりが良かった。 2012.03.10 *Sat*
西洋美術史入門 池上英洋
美術史ってなんぞ? なんとか派とかいう名前を覚えたり年代を覚えたり、芸術家の名前や作品を覚えたりすること? それとも美術作品を目の前にして、この作品はこれこれこういうところが素晴らしいとか、こういう技法が優れているとか、考えつつ感じたり(笑)すること? ……みたいな誤解を解くような、分かりやすい、文字通り西洋美術史の入門書だった。 芸術とは、よく分からないけれど心で感じるものじゃないの? 学ぶことなんてあるの? という疑問は、知っているとこんなに絵の見え方が違ってくるのか、と思うような例がたくさん出てくるので、とてもすっきりした。 素材や技法といった物理的側面と、作品が作られた時代背景や何故作られたのかという精神的側面の両方をじっくりと知ってこそ、なぜこの作品が生み出されたのかということが見えてくる。 例えば、聖母が民衆に人気だから、そして一見して分かるということかと対抗宗教改革の一環として数多作られた聖母の像、絵、そして信仰。ペストにかからないようにと聖セバスティアヌスの絵が好まれたとか、大金を持って旅に出なければならない子息の守護のためのトビアスと天使の構図が好まれたとか。 こういうのを読むと、西洋美術においてキリスト教は影響というようなかわいいものではなく、キリスト教のために作られた作品がいかに多いかということを教えてくれる。 また、時代をそっくりそのまま写しす鏡のようでもある。 その時代の人びとの暮らし、技術、社会不安が、素直に現れることもあれば、ちょっと捻って「読みとら」なければ見えてこないこともある。 その読み取り方を知っていれば、美術は歴史とも宗教とも分かち難く隣接しており、そのまま大きな本流として原罪とつながっていることも分かるだろう。 また、その芸術を誰かに説明しようとするとき、いかに客観的に見る目、正確に説明することが大切かということもひしひしと感じる。 人が皆同じものを見ているとは限らないし、同じ考えではない人々に同じ考えを与えるのも難しい。それらを時間を越え同一のものに繋げてくれるのが美術作品であるのかな、と思った。 2012.03.07 *Wed*
怪談 柳広司
ラフカディオ・ハーンの「怪談」の中でも特に有名なものを底本に置き、現代風に、尚且つ実際にありえそうなオチをつけた短編集。 この作家にはずっと小難しいイメージがあったのだけど、「ジョーカーゲーム」辺りから読みやすくなって、この「怪談」は短編でもあり元の話が有名なせいもあってか、更に読みやすくなりました!という感じ。 ハードボイルドや美学を意識したいけど出来ず、かといって下劣なところにまで落ちることも出来ない。そういう平均的な人間の、浅はかなような、愚かしいような、でも決して馬鹿にはできない日々に起こる、怪奇。 それは解決されるべきなのか、されない方がいいのか、それは人の好みそれぞれかもしれない。 個人的な感想では、不思議は解かれない方が美しいだろうし、記憶にも残るだろう。まして、こんないかにもミステリらしく、犯罪を隠滅するためという理由が怪奇に絡んでくると、とてもがっかりする。つまりは、それが下劣な、下種な、品の無い方。 けれど出来事の裏側やからくりを見ずに、美しがったり趣きを感じたりするのもまた、落ち着かないものなのだなと気づかされる。その点こそが、この本の怪談なのかもしれない。 この柳広司版「怪談」を読んでから、ハーンの「怪談」にこの解釈は当てはまるだろうか、と考えるのも楽しかった。 2012.03.06 *Tue*
世界について 戸田剛文
題名通り、世界とはどういうものなのか、ということについて考えていく本。 もちろん何をもって世界というのかによって切り口は変わってくるだろうし、筆者の考え方が正解という訳ではないのだろうが、不思議と筆者のイメージする「世界とは」が「間違ってはいない」ような気にさせられた。 最初から、「世界は、信念のネットワークである」と結論を出してしまって、その言葉の意味するところを懇切丁寧に解説していく。一応ジュニア新書というシリーズだからか、哲学の用語も使わず、哲学者の名前も出さず、◯◯論みたいなのも出てこない。 それが分かりやすいかといったら、うーん……というところもあった。余計に回りくどいというか、分かったような分からないような、煙に巻かれるというのがぴったりかもしれない。 それが原始的な考えるということなのかもしれないので、良いのかもしれない。 途中でやめようかな〜と思う度に、よく分からないボケやらネタ的なものが入り、ついつい最後まで読んでしまった。『七瀬ふたたび』を好きに違いないとか(笑) 世界とはネットワークで、幾つもの小さな、ローカルなネットワークが無数につながっていて〜とやっと最後にまとめでプラグマティズムという言葉が出てきた時のほっとしたことといったらない。相対主義とか。 でも、相対主義者は、自分達だけが正しいとは言えないけど、間違ってるとも言われないのだから、ずるいような気がした。 最初から最後まで、なんかずるいなーと思いつつ読んでました。 2012.03.05 *Mon*
鷹のように帆をあげて まはら三桃
中学生の理央は仲良しだった遥が交通事故で亡くなってから、その形見の手袋をずっと外せずにいた。 そんな理央の慰めは遥がペットショップで見つけたタカの子供で、とうとう理央はそのタカを飼うことを決意する。 慣れない猛禽の世話に明け暮れながら、いつか遥にも見えるように高く空を飛ばすことを夢見る理央。だがペットショップで手に入れた時期が遅く、飛ばないかもしれないと言われる。 * どうしても、と言い出したら聞かない理央の性格と、この年齢の男子にしては妙に達観して優しげな幼なじみの康太、そして子供達を必要な時にはいつでも手助けするような体制で見守っている大人たち、と、なんとも温かくほっとするような話だった。 タカのモコちゃんはそれなりの値段もするし、飼うにしたって場所や餌のこともあり、ましてや飛ばせる訓練をするといったら猛禽関連の書籍もないし飼ってる人もあまりいないしと、大変なことばかりなのだが、様々な人が手を貸してくれて、モコは少しずつ飛べるようになっていく。 周囲の理解と協力が大げさなものではない分、淡々と積み上げられた成果に静かに感動出来た。 作中に登場し、理央のよき相談相手、憧れの存在となる女子高生鷹匠はどうやら『鷹匠は女子高生』の主人公のようで、既読だったためにとてもイメージしやすかった。 あと、現実の人が物語に登場してるんだという興奮もあり、とても凛とかっこよく見えるのも良いところ。 やはりタカと鷹匠の、野性と信頼関係のぎりぎりのラインの緊張感がなんとも清冽だった。 一緒に読むと、害鳥駆除にどんな風に役立っているのか、猛禽を飼うことの難しさと面白さがより伝わるだろう。 康太は康太で自分の問題を解決し、理央にも新しい親友ができて、やがて外せなかった手袋をモコが遥に返してくれる。 ファンタジックな終わりながら、上昇気流に乗るかのような清々しいラストだった。 2012.03.04 *Sun*
一般意志2.0 東浩紀
著者自身が分かりやすい本であると言っているとおり、特に分からない! というところもなく、読むだけなら読める。(どこかのインタビューで、中学生でも分かる、と述べていたのにはちょっと勇気が湧いた) タイトルにもあるように、ルソーの一般意志という言葉を解釈しなおし、当時では批判されることもあった一般意志が現在ではすでにオンライン上に立ち現れているのではないか、それをなんとか使えるように政治に実装できないか、という内容。 コミュニケーションをしない、ただ様々な方向を向いた欲望が、ただモノのようにどんとある。グーグルとかアマゾンとかの予測のような、ひたすら個人が発し続ける情報が集まったもの、作ろうとかまとめようとする前にもう既に在る。 数学的だとかラディカルだとかいうより、私にはもう一種の自然みたいなものに思えたので、あるんだから利用しようという展開には素直に納得してしまう。 古典的な思想や修辞を解釈しなおして、現代に当てはめてみる、使えるものにしようとするのが人文学っぽい。 夢を語っているだけの本だから、現実には難しいんじゃないかと思うのはナンセンスなのかもしれない。けれど、熟議が行われているところに例えばモニターを設置して、ニコ生のコメントのように無責任な個人の感想が流す、するとなんとなくの民意のようなものが見えて、熟議を行っている者に多少の影響を与える……というのにはちょっと笑ってしまった。 システム的なことはともかくとして、そこに興味をもった感想がすごく少なかったら……閉じた合議に突っ込みをいれる他者が特定の年齢階層の者ばかりだったら……とか。それでも一般意志は一般意志なんだろうか、と悩んでしまった。 最低限、国民全員がオンラインでいることが義務付けられているような世の中ならいいのだろうか。 ちょっと想像が追いつかなかった。ツイッターをやってない人には、もっと分からないんじゃないだろうか。 まあでも、制度に人間を合わせて行こうというよりは、人間に合わせて、自然にこうなっている状態に合わせて、制度はあるべきなんじゃないかと思う。 なので、一部ニ部辺りはわくわくした。 集合知、アップデートされた一般意志、それらが実感としてもうあるというのがすごく感じるので、有効に使われたらそれに越したことはないし、神でも施政者でもいいけれど人格を持ってないものが、自然に、なるようになるように(笑)社会を整えてくれる技術ができるなら、それは素晴らしいと思った。 2012.03.04 *Sun*
源氏物の怪語り 渡瀬草一郎
中宮彰子に仕えながら「源氏物語」の執筆をする藤式部のそばには、愛娘賢子と、賢子に乗り移った亡くなった姉がいた。 物語を書くという行為がなぜか物の怪を引き寄せてしまうのか、同輩の女房達や中宮自身にも心の迷いがあやしげな現象となって降りかかる。 姉の助けを借りながら、なんとか事態を解きほぐしていく式部の連作集。 * 若くて引っ込み思案だけれど自己顕示欲がないわけではない伊勢大輔や、奔放な恋愛遍歴を持つ割には人の心の真を見抜くことにも長けた和泉式部、懐妊中の中宮彰子は心に抱える虚ろに耐えきれなくなり、複雑な出生を持つ赤染衛門は家族の繋がりに思いを募らせる。 物の怪といっても、分かりやすい鬼や妖が出てきて陰陽師に調伏されるわけではなくて、どちらかというと気の迷い、心の病のような、形のないものばかり。 冒頭から、ないけどある、あるけどない、ものとして物語と物の怪を結び合わせている。なので、その無いはずなのに心がざわめくから「ある」のだ、という感じで現れてくる怪奇が、ふわふわと曖昧ながらも納得できる。ほとんどが、夢と深く結びついた現象となって出てくるのも、さもあらんという感じ。 平安時代に詳しい訳ではないけれども、本当にこういう書き方でいいのだろうか?と不思議に思うところもいくつか。 彰子が赤染衛門のことを「赤染衛門様」と呼んだときには、入れ替わりトリック?!と勘ぐってしまった。みんなひょいひょい立ち歩いているのとか、源氏物語の進捗具合とか、いきなり視点が歴史的なものになったりとか、ちょっとびっくりした。 歴史的な時代を舞台にしているからといって、必ずしもその舞台に忠実にしろとまでは思わない(大河ドラマだってそうだろうし、そもそもこれはラノベだと言うなら、そこを気にする方がおかしいのかも) でも全体の雰囲気から見ると、物語と物の怪、それを書く式部という人間がどのような役割を果たすか、源氏物語の歌と歌人の歌、そういう無いものと在るものの間を行き来するような、人物達の心の有様がメインの小説かなと思ったので、ちょっとした違和感が全体の雰囲気を軽くしてしまっていたように思た。 彰子の人物像が新しくて面白いなと思った。 2012.03.03 *Sat*
鉄道きょうだい E. ネズビット
ロンドンで、尊敬できるお父さんと優しくて賢いお母さんと、何不自由なく暮らしていたボビー、ピーター、フィリスの三きょうだい。ある時、お母さんと三きょうだいはなぜかお父さんと離れ離れになり、田舎の片隅で暮らすことになる。 暗くてネズミが出たりするみすぼらしい様子の家に、貧乏でちょっとした贅沢もできない暮らし。 けれどもお母さんを気遣って、仲良く楽しく暮らそうとする三きょうだいの慰めは、家の近くから見える鉄道だった。 * 三きょうだいの個性豊かさというよりも、作者が書いているように、長女のボビーに入りこむ気持ちが偏った内容になっているかもしれない。 ただ優しいだけではなくて、人の気持ちを慮って、それに即した対応をしようとするところが確かにいじらしい。 けれど、みんなそれぞれ子供らしいところを持っており、いいこちゃんと呼ばれるのが嫌いだとか、聖人ぶって!と言ってみたりとか、いい子になったあとは悪い子になってみたくなるものだとか、素直なんだけど、一筋縄ではいかない子供心に頷けるものがあった。 分量は長めだけれど、駅の石炭を失敬してしまう話や鉄道に向かって毎日ハンカチをふる話、駅員さんと仲良くなったりちょっとした諍いがあったり、土砂崩れによる事故を防いだ話……などなど、いくつものエピソードで語られる短編集のようでもあった。 なぜ、お父さんはいなくなってしまったのか。離れ離れに暮らさなくてはならなくなったのか。 少しずつ明らかになっていく事実と、その悲しみ。 ボビーたち三きょうだいがいつも取る行動には、子供だからってそう毎回そう助けを求めていいんだろうか? と多少疑問にはなるけれど、大団円はとても静かな味わい深いものだった。 ボビーの、知りたいと言う気持ちを抑えて相手を大切にしようとする気持ち。 慎ましくくらしてる人ほどプライドが高いとか、迷惑でも取り敢えずにっこりと歓迎するところとか、ドクターが語る男性女性の違いなどなど、とても英国っぽい!と感じた。 慈善とほどこしが当たり前みたいなところとか。絶対素直に感情を表現しないところとか(笑) そういう捻くれが普通であるやり取り、が面白かった。 2012.03.01 *Thu*
ジスカルド・デッドエンド 泉和良
尊敬するクリエーターのジスカルドのサイトに一瞬現れた不吉な「死にたい」の羅列に、不安になるデイジー。そんな彼の元に、ジスカルドの作ったゲームのキャラクターがいきなり現れて、その能力を使ってみせる。 オフ会でジスカルドに会い、杞憂だったと安堵するのも束の間、別のゲームのキャラクターが襲いかかり、何度も殺されそうになるデイジー。 一体どうしてこんなことになったのか分からないまま、何度かオフ会を繰り返していくが…… * 異世界からキャラクターが来ちゃった系のファンタジーかと思いきや、現実と虚構の境界が、前提が、揺らぐような心理的な読み物だった。 内容がぶっ飛んでても、感情をたかぶらせず淡々と読めるところがこの作家の好きなところ。 ちょいSFっぽかったり、ちょい文学っぽかったり。 クリエーターの憂いというと今風だけれど、芸術家の憂いというと昔からずっと書かれてきたテーマでもあると思う。 大衆に媚びるのか、自己満足で良しとするのか。そのうちに段々作品が作れないという妄想に陥り(単に時代と合わないだけだったりするのだが)、その葛藤やら懊悩やらを一般人が眺めてにやにやする、という話。 なんていうか、芸術という素晴らしいものに従事してるんだから、当然苦しんで欲しい的な気持ちもあるのかもしれない。 面白いのは、敵キャラの方のチカラが物理的で、主人公サイドの味方キャラの方が目に見えない能力なことだろうか。 つまり、敵が出てこなければ、全て妄想でした!というオチにもなり得るわけで。 あと、タイトルにもあらすじにもあるのでネタバレには当たらないと思うのだけれど、なんだかんだやっても、ジスカルドは死んでしまうという(笑) 後味が悪いとも悲しいとも運命的だとも思わなくて、可能性の一つ、という感じが面白かった。 おすすめ本
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