This Archive : 2012022012.02.27 *Mon*
秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集 アルジャーノン・ブラックウッド
幽霊が出るという噂話を確かめにいく「空家」や、誰もいないはずのアパートの部屋から人の言い争う声が聞こえてくる「壁に耳あり」、久しぶりに幼馴染が変わり果てた姿で訪ねてくる「約束」など、古典的な幽霊話がやはり怖かった。 古典的というか、パターン的なのか知らないが。 特に、ちょっと物音がしたら必ず確かめにいくとか、途中でこの冒険を止めないとか、最後まで見届けるとか、夢とか気のせいで終わらせないところが恐ろしい。 だからこそ、皮膚の感覚やなんとなく嫌な感じといった曖昧なものが積み重なって積み重なって、しまいに第三者の目撃や物証になって立ち現れてしまう。 キャ〜って逃げておけばこんなことにならなかったのに、事実であることは明らかにして、怪奇だけが残るって、それって怖くない? ねぇ怖くない? これからどうやって、生きていけばいいの? という感想。 「秘書綺譚」などでは活躍するジム・ショートハウスだが、「窃盗の意図をもって」ではちょっと情けなかったりも。 そういうのに巻き込まれるタイプ、ということなんだろうか。 「小鬼のコレクション」はアイルランド人の使用人についてきたらしい妖精が他愛無く、笑える。 「転移」も、美しい家庭教師の苦悩が一枚の絵のようで、怖いというよりは美しいといった印象。 一番インパクトがあったのは、一番短いながらも「炎の舌」かな。 単純な因果応報というより、このあとの二人が妙に気になる。善良な人たちの凡庸な生よりも、ちょっとした人間的に欠陥のある人たちが受けた悲劇的な報いが笑えると同時に官能的でもあった。 2012.02.26 *Sun*
ブレイク君コア 小泉陽一朗
自転車小屋で自分の自転車をガンガン蹴っていた女子いくみに恋をした優太は、早速親しくなろうと接近する。 ところが一緒に下校できるくらい距離が縮まったところで、目の前でいくみはトラックにはねられてしまう。 命に別状は無かったものの、その衝撃でいくみの身体の中にはどうやら別の人間の中身が入ってしまったようで……。 身体と心の所在が不明確に感じられる、この恋の行方は一体どうなるのか。 * 身体と心が入れ替わってしまうという話は多々あるが、そういう話では、男と女の身体の違いとかこれまでの生活を続けるための努力に紙面が割かれることがほとんどだろう。 この小説の面白いところは、身体と心が入れ替わってしまったらしい好きな女の子に対しての、異常に感じられるくらいの主人公の冷静さだろうか。 入れ替わったなんて信じないというのも冷静だし、入れ替わったとしても入れ替わった今の飯田いくみが好きだ!というのも冷静だ。 今までの飯田いくみは「好きだった」と過去形で語る始末。しかも割と真面目で、そこを自分で追及して最低だと落ち込んでみたり、最終的には身体は飯田いくみで中身は別の子のが一番好きだったみたいな結論になったりする。ここが、おかしい。 結局、その状態の飯田いくみといちゃいちゃしたから好きになったんだろう?というのが否定できず、所詮肉欲かよ(笑)みたいなのがあるから、余計に面白い。 でも、飯田いくみの中身が男かもと思って、気持ち悪くて嘔吐したりもする。 この、身体と心の感覚。あるいは優劣。 これが人それぞれ違うんだ!ということが、視点を変え、キャラクターを変え、身体と心を入れ替え、目まぐるしく語られるのがこの小説なのだ。 猟奇殺人があり、心霊探偵が出てきたりと、なんやかんやとあるが、それらの要因が物語の中ですごくチカラを持っている訳ではない。 キャラクターも、美少女だから殺人鬼だから主人公だからという理由で、「強い」訳でもない。物語すら、たいした力を持ってないように思える。 かといって、日常が最高だと日常に帰ってくるのとも違うように思えた。 テンション高めに走っているうちに、走っているのか止まっているのか解らなくなったような。 「これだ!」と何かを言い切ることのできない曖昧さを感じた。 2012.02.24 *Fri*
ジーノの家ーイタリア10景 内田洋子
バールって何だろう、というちょっとした疑問から始まった読書である。 調べなかったのは面倒だったせいもあるが、やがてバールとはこれこれこういうものであるという説明がされるだろうということを期待していたせいもある。 結論から言うと、そんな明確な説明はなかった。 けれど、全編を通して頻繁にバールという店、場所がでて来る。 それぞれの文脈で、それぞれの描写の中で、なんとなくこういうものなんだろうな、と想像した。想像だから実際とは違うだろうけど、それでいいんじゃないのというラフさが似合うような文章なのだ。 知らない一つの言葉を、その他の大量の言葉で理解しようとしていく。 翻訳というほど大げさなものではないし、これでミラノが分かったとかイタリア人が分かったとか言えるはずもないが、筆者が文章で置き換えようとしたことを読者もまた読むことで置き換えようとする。 そんな連鎖を感じる本だった。 旅行記ではないし、滞在記、という感じでもない。エッセイというのが正しいのだろうけれど、雰囲気としてはもう短編小説のようなそれだった。 アクがあってどことなく暗く感じる、のは、多分観光地としてのイタリアのイメージが今まで強すぎたからだろう。住んでる人にしたらこれが普通だよ大きなお世話といったところだろうか。 けれどこちとら料金は提示されてるのが普通で交通機関は定刻通りにするのを目標としてるお国に住んでるので、ぼーっとしてたらカモにされるとか、コネがないと損をするとか、街で気軽に身元がばれるおしゃべりをしちゃいけないとか言うのを聞くと、おお怖い!と思ってしまう。 小説のようだと思ってしまうのは、筆者がまたドラマティックなことにまた巻き込まれて(飛びこんで?)行くからでもある。 犯罪拠点となっている「黒いミラノ」というところに行ってみたいと思ったり(なぜ行く)、友人の犬が誘拐されたらしくその取引の現場を息を詰めて見守っていたり(だからなぜ行く)、たまたま乗ったタクシーの運転手がなんだかすごい人だったりと、別にドラマティックな展開を求めてはいないのに淡々とそうなってしまっているのだ。 そんなとき、ごく普通の友人や隣人やたまたま出会った人達が、いきなり面白い人達になって、生き生きと活躍し出すのだ。不思議だ。 特に劇的な展開など無くても、いつ妖怪大戦争が始まるんだろうと一瞬たりとも気が抜けないような、そんな十編だった。 特に好きなのは、住んでいたアパート?がぼや騒ぎになった「黒猫クラブ」 住人達の意外な面とそのまんまな面がおかしく、その後のホームパーティーの準備(こっそり美味しいチーズ買うところとか)、なんでこんな大人数なの!?という大騒ぎのパーティー、屋上の鍵を預かる静かな終わりが何だかとてもかっこよかった。 2012.02.21 *Tue*
こどものためのお酒入門 山同敦子
そもそもお酒とは何か、なぜ飲むのか、飲むとどんな感じになるのかという辺りの説明から入るところがいかにも児童書である。(当たり前だが。) 小学校高学年から中学生くらい?を対象にしてるのかな? 歴史の知識などから見ると。 総ルビがとても見にくくて、遊び心のようなフォントも見にくく感じたけど、子供が楽しく読むにはこういうのが必要なのかもしれない。 けれど内容は、児童書と言って侮れなかった。特に私のようになにも知らない、醸造酒?蒸留酒?何それ?みたいなレベルの大人にとっても、分かりやすい入門書だと言える。 何よりも、お酒が美味しそう!と思えたら、子供と違ってこちらは飲めるのだ(笑) 日本酒、ビール、ワイン、焼酎に泡盛といったメジャーなお酒の歴史、造られ方、それに携わる人々のインタビューが付いているのもまた児童書らしい。 なぜ飲むのかという大人コメントの多くが、コミュニケーションのためだとか、疲れを取るためとか言ってるんだけど、これは多分子供にはそのままの意味で伝わるだろうなと。そうじゃないんだよ多分!と思いつつ、文字通り大人にならないとわからないこともあるということで、理解してもらうしかないかな。 ワイン(に限らないかもしれないけど)の風味を表すのに言葉を使うのが、面白いなと思った。調香師も匂いを言葉で記憶するとかいうのを、小説で読んだことあるような気がする……。 死の準備をするために飲む、というのと。 音楽と同じで無くても困らない、けれど無いとつまらない、というインタビューの言葉が印象的。 2012.02.20 *Mon*
英国メイド マーガレットの回想 マーガレット・パウエル
二十世紀初頭、貧しい生活から家に居られずにメイドとして働きに出ることになった筆者マーガレットの体験・回想記。 父親が部屋の内装などを請け負っていて、冬には特に貧しかったマーガレットの家。しかも子供は七人。 それしか楽しみがなかった(笑)とあっけらかんと言ってしまえるくらい、生活の困窮はもちろん大変そうなのだが、子供時代は子供時代で楽しそうで、家族仲も悲惨ではない。こういう、分相応な諦めというか、その中で我慢して生きるって姿勢が好きなので、じーんと感動する。 それでもこんな遊びをしたとか、サーカスを見に行ったとか、学校はこんなだったとかの回想がとても豊かで読んでて楽しかった。 ケンケンみたいなのや、陣地取りみたいなゲームとか。 その後、最下層のキッチンメイドとして働きに出ることになった筆者だが、その仕事の大変そうなことといったらない。便利な洗剤や道具もなく、使用人なんて階上に住む彼らにとっては居ないも同然で、待遇を良くしようとか優しくしようとか考えることもないのだから、マーガレットの不平不満は正当なものだ。 だがそれが認められるはずもなく。マーガレットも他の多くの労働者階級の人間たちと同じように、うまく折り合いをつけてやっていくしかなかった。 それも決して悲観的ではなくて。辛辣で痛烈な皮肉を交えながら、どこか楽しくて逞しい。成功するかどうかではない、働いている人たちの共感と共闘を感じさせる面白い本だった。 大真面目に、いい男を捕まえて結婚しなきゃ!と言ってるのもすごく納得(笑) 自分の評判を落とさずに、尚且つ遊びではなく、ちゃんと稼ぐ男と結婚すること(しかも自分も働きながら)の大変さ。 あと、たいした男じゃなくても制服きてるとかっこいいよね!と言ったりするところなんかは、思わず吹き出してしまった。 というように、笑えるエピソードがたくさんあった。 マーガレットの友達が、メイドだと軽くみられるので秘書だと偽ってデートしてて、男にシンクのある部屋に連れ込まれて、思わず溜まってた銀器を洗い始めてしまって招待がばれたとか。 雇い主達は、物理的な幸せには気を配ってくれなかったが、精神的な幸せにばかり気を配って教会に行くように指示したとか。 メイドがエスコートしてもらうのに恋人を作るとその相手のことをフォロワーと言ったりして、その呼び名が良くなかったとか。 筆者自身が読書と歴史が好きだったと言っていて、子供の頃から図書館でよく本を借り出して読んでいたそうな。(ボーイフレンドとディケンズの話をしようとして、分かってもらえなかったりする挿話も) メイドが本を読むということに驚かれつつも、自分が好きなこと、おかしいと思うことをきちんと言語化できることが、ただ流されるだけで終わらなかったマーガレットの強みだったのかもしれない。 2012.02.19 *Sun*
エレGY 泉和良
フリーゲームウェア作家のジスカルドが自棄になってブログにあげたパンツ画像募集の記事に、本当にパンツ画像を送ってきたファンの女子高生エレGY。 リストカット癖のあるエレGYと会ってしまったのが運の尽きなのかどうか、言動のイタいエレGYと話しているうちに恋に落ちてしまった「僕」 しかし、ファンが好きなのはゲーム作家としてのジスカルド、幻想のキャラクターであって、泉和良ではないというプレッシャーから素直になれない「僕」は…… * 想像していたほど痛々しくはなく、いっそ清々しいまでにド直球の恋愛話。 フリーゲームの分野とか、作者と作中人物の名前が同じとか、そのあたりのことはよく知らないのだけれど、興味のない分野のことでも「読ませる」のが小説の引力だと思うので、なかなか良い小説だったと思う。 メールのやり取りが続く部分、会話文が続くところ、細かな場面の切り替えなどなど、馴染めないといえば馴染めないけれど。 例えば、この当人たちににしたら運命的な恋愛の出会いであっても、はたから見たらごくごくありきたりな男女の出会いな訳で。 本当の自分じゃない自分のことが好きなんだ、というジスカルドの考えも傲慢といえば傲慢だけれど、それが自分のことになると気づかない訳で。(実際、友人カップルの関係には冷静な観察眼を示してもいる) 好きっていうのに理由はないし、理屈もないし、っていうただそれだけのことを爽やかに書き抜けた!という意味で、良かったなと思った。 実際、ジスカルドがエレGYを好きになる気持ち、エレGYがジスカルドを好きになる気持ちに、いい感じに男女差が出てたような気もする(笑) そこを掘り下げて悩むのは、また別の小説で、ということでいいと思う。 2012.02.18 *Sat*
知識のイコノグラフィアー文字・書籍・書斎 出佳奈子 他
イメージに文章や単語、もっと単純に言うと文字、が混ざっている時、人はそのイメージを先に見るのか文字の意味するところを読もうとするのか。 視覚的なイメージを図像学で読み解いていくとき、文字や解説や知識はどのようにそれらのイメージと擦り合わさっていくのかということを、いくつかのイタリア美術を取り上げて考察していく論考集。 「感覚のラビュリントゥス」というこれから刊行される?シリーズの一巻という位置づけらしい。 前提として当然これくらいの知識はいるよね〜という美術的な知識が皆無だったため、さっぱり分からなかった(なぜ読んだ……) けれど、めちゃくちゃ専門的ということもなく、白黒だけれど図版もちゃんとあるので、これこれこういうことを表すモチーフ、アトリビュート、と説明されながら絵を見るのは楽しかった。 でもまあ、正直分かりませんなので。 以下は感想というより、ただのメモ。 一章では、十五世紀のイタリアで書斎を持つことが知的エリートのあいだで流行していたこと。読書、静かな集中、瞑想的な生活が理想とされてはいたが、それは隠者のような生活ではなく、活動的な生を支えるものであったこと。 明暗のバランス、得た知識は実際に生かされなくてはならないというような、入力出力のバランスを感じた。何かを読むということは、常に何かを翻訳しているかのようだ。 二章は、表情のない静的な伝統的なイコンのイメージと、生き生きとした肖像画とが出会い、工房としての署名から芸術家としての署名という、署名に新たな意味が出てきたことなど。 三章で取り上げられるアンドレア・サッキの絵では、聖女ロザリアが聖人として認められるに至ったラテン語の銘文が、絵の中ではまだ刻まれていないこと。これから刻まれるであろう啓示を受けている場面という、一瞬のドラマ的な時間を切り取ったものだという解釈が面白かった。文字が分からなかったから書けなかったの?とか思ってしまった。 あとさまざまな先行作品の影響を、少しずつ少しずつ受けて、折り重なるようにしてできてるんだなぁと。 四章は対抗宗教改革で使用された出版物について。絵の中にアルファベットがあり、註がつけられている。見ることよりも聞くこと、聴覚の方が当時のキリスト教において優位だったというのに驚いた。テキストよりも視覚イメージの方が速いような気がするし、実際視覚の価値が見出されていくようにもなった。 五章は、一章に立ち返るかのように木象嵌装飾の書斎。パースペクティブ、きっちりと整理された知識のための場所はまるで小宇宙のようだ。 ガラスが光を通すから、聖母が受胎したこと、ひいては書斎の持ち主か神の恩寵で男児を得たことを示す、というのには、そこまで考えてるの?!と驚かずにはいられない。 2012.02.17 *Fri*
絶海ジェイル Kの悲劇’97 古野まほろ
イエ先輩こと八重洲家康が絶対に敵わないと思うピアニストの祖父・八重洲清康が生存していると告げられ、会ったこともない祖父に会うために無人島へと向かったイエ先輩とユカ。 ところが、そこで待ち構えていたのは、五十年も前に起こった監獄の脱獄事件の再現の要求だった。 忠実に再現される憲兵と思想犯の役割から、イエ先輩は見事脱獄してみせることができるのか。 * そろそろ古野まほろのミステリじゃないのも読みたいような、読めそうな、そんな気がしてきた。かといって、どんなジャンルでどんな小説がいいのかと聞かれても困るけれども。 とにかく、無事東大に合格したユカと、ユカの先輩以上恋人未満のピアノの師匠でもあるイエ先輩との、つまりは過去のあるアンニュイに美しい青年とそれを癒す天使になれるかどうかの瀬戸際の娘の無垢さとの勝負、みたいな土台に乗っかった本格ミステリな訳でした。 近年のまほろらしい読みやすさで、紙面の色が薄く感じるくらい。ふりがな、当て字も少なめ。物足りないと言えば足りないが、引き換えにした読みやすさも、これはこれで良いと思う。 最近あまりミステリに食指が伸びないので、ただの感想としてでさえ、ミステリ的にどうこうといいづらいものがある……。 ただ、荒唐無稽で、そんな馬鹿な!と言いたくなるほど、ミステリらしいという気がするので、ロックっぽいロック、というような意味で、ミステリっぽいミステリ、と思った。 親切すぎる、あからさますぎる、フェアすぎる? シンプルな謎と解の上に、どろどろした感情と悲劇と美しい復讐、おぞましい拷問がきれいに盛り付けられている、そんな印象だった。 2012.02.15 *Wed*
イルミネーション・キス 橋本紡
幼なじみのキス、友達同士のキス、長年付き合ってる恋人同士のキス、ちょっと気になり始めた相手とのキス、主夫から妻と娘へのキス……などなど。 様々なキスを描いた短編集。 パステル調の装丁に、可愛らしいタイトル。 頁を開いてみると字数も少なめで、若い世代向きなのかなと思ったら意外と肉肉しかった。 引っ込み思案でもないし、がっついているわけでも無い。けれど自然な欲求の延長として(あるいは仕入れた情報の実践として? )恋愛対象が欲しいよね!異性が欲しいよね!という健やかさがあった。 食欲とか、周囲と上手くやりたいとか、仕事とか、ごくごく普通のことに関する欲と同じように。 恋愛だけ特に突出して画かれていない、そのせいで余計に特別な相手との特別な触れ合いが良いものに感じられるという、なんだかいいなぁと思える話ばかりだった。 特に最初の二編、高校生の女の子の話が好きだ。 あの時代の緊張感と強さ。それを先入観や偏った見方を感じさせることなく読める小説、って案外少ない。 どの話も、夢見がちではなくて、どちらかというと現実的な冷たさが紙一重なのに絶望しないで済むのは、その現実の重苦しさが人一人分といった感じがするからだろうか。 壮大なドラマではなくて、身体一つ分のドラマ。むしろドラマ性なんてないのかもしれない、というくらいの、頼りないものを広げようとするかのような。 だからこそ、結構重苦しく読んでしまったりもしたけれど。 2012.02.13 *Mon*
クマのあたりまえ 魚住直子
べっぴんさんと揶揄されながらもなかなか越冬しようとしないチドリ。 人間になってしまった母猿に会いにきた子ザル。 池のアメンボと会話をして貰った不思議な布地の話。 食べるため以外にも生き物を殺すのが大好きなアオダイショウ。 自分に見えている色と他の者に見えている色が同じとは限らないと気づいた鯉。 腹ぺこの肉食獣たちに、肉を分け与える年おいたライオン。 死ぬのが怖くて、死なないいきものになろうとするクマの子ども。 動物達の視点で書かれた、生きることについての短編集。その中にひっそりと人間が混ざっているのも、人間の悩みが一番他愛無く思えるのも、なかなか良いですな。 変に教訓めいた話でもなく、かといっていかにも良い話というわけでもないので、読んだ後に残りにくいかもしれない。読んだ後に誰かと話をしたら、面白いかもしれないと思う。 最初のべっぴんさんなんかは、お多角とまってるチドリの話かと思ったら、実は飛べないチドリの話で、最後まで淋しそうに見せたりひねくれた言動をしない。 それなのに、見た目の悪いチドリが行ってしまいそうになったら、ぱっと飛び立つ。飛べないくせに。 本当に本能とか生き物としての生きたいという気持ちが、自分の中にあるのかは分からないが、ぱっと天啓のように打たれたり、気づいたら行動してしまっていたりという例を見て、そういうこともあるかもしれないと素直に思える話ばかりだったかと。 あたりまえのことが、あたりまえに通っている道筋みたいなものを見せてくれる。 2012.02.13 *Mon*
英国マザーグース物語 婚約は事件の幕開け! 久賀理世
探検家だった父親を亡くした子爵家の令嬢セシルは、父親の喪が明けたら婚約し結婚することを條件に、それまでの一年生弱を大衆紙の記者として働くことを堅物の兄に認めさせる。男装し、男として。 それは実は、客死したものとされる父親の死の技年を晴らすためでもあった。 セシルの婚約者であるジュリアンはこっそりとセシルの様子を覗きに行くが、成り行きで、新聞者の絵師としてセシルのパートナーとなり、あちこちの事件に駆り出されるようになる。 互いに偽りを抱えたまま、パートナーとして距離を縮めて行いく二人だが…… * 十九世紀ロンドンが舞台というほど、歴史的に引き込まれる感じはなく、あくまで雰囲気、風味といったところ。 性別の偽りも、ばれるかも?!みたいなどきどきも無く、実は婚約者のジュリアンが側にいて知らないのはセシルだけ!のきゅんきゅんも無く、普通のテンションで読んでいける。 日常の謎と、サスペンスの間のどっちつかずのような、かっこいい男がでてくる恋愛ものとしても微妙なような、なんなんだろうな〜という感想だったかも。 シリーズものなんだから、すべてはこれから、なのかもしれない。 特にこのキャラが、というのも無いけれど、あえて言うなら次兄が榎木津だったかな……。 そして長兄はどんどん妹バカになって、弟は天使のように可愛くなって、子爵家の兄弟がいい感じに壊れていけば面白くなりそう。 そして裏では事件をシリアスにしっかりと抑えといて、ここぞというところでジュリアン活躍させて、どんどんセシルが夢中になっていって、ああでもわたしには婚約者がいるの!どうしたら!……という流れが王道か。 とにかく久しぶりのコバルトでした。 2012.02.12 *Sun*
みずうみ シュトルム
「みずうみ」 老境に差し掛かった男が過去の恋らしきものを回想する。 ほんの少年少女であった頃の他愛のない遊び、小さな冒険、些細だけれど特別に思うような気持ちが、まばゆいほどに懐かしく感じられる。 大学に進学するために故郷を離れたラインハルト。故郷に残ったエリーザベトとの物理的な距離と時間という距離が、二人の間によそよそしさを置き、ラインハルトが紹介した友人のエーリヒがエリーザベトの側に存在感を持って立ち上がってきているのに、そのまま、さほど不安も持たずに大学に戻るラインハルトの若々しさもまぶしい。 幼い頃、若い頃がひたすら眩しく感じられるのは、懐古している視点にどこか暗いものを感じているからだろうか。 光と闇がゆるく点滅するかのような、残像のイメージが残るような場面場面に、恋の美しさや楽しさよりも、安らかな暗いものを感じることが多かった。 友人の妻になってしまったエリーザベトとの再会には、どこがどう痛いのか分からない傷を抱えたもの同士の、もどかしい苦しみがあったはず。 けれどそれを訴えることはしない。なぜ、結婚したのか。なぜ、約束事一つ置いていかなかったのか。言い訳も、釈明も、何もない。すべて今更だから、という諦めと、少しの激情への期待が(そうするはずもないから)切なかった。 「ヴェロニカ」 従兄弟の家に身を寄せ、その人妻のヴェロニカに恋情めいた感情を持つようになったルドルフ。共通の趣味の絵を書くことなどから、少しずつ距離が縮まっていく若い二人に水車小屋で一瞬の恍惚の忘我の時間が訪れ、その心の空白に罪悪感を抱き、塞いでいくヴェロニカだった。 途中からルドルフ視点からヴェロニカ視点になり、美しいヴェロニカに惹かれる情熱的な物語だったものが、段々不穏な雰囲気になっていく。 水車小屋でのやかましく単調な水音を聞いているうちに、ぼうとっとなってしまう感じがよくわかるような気がした。 懺悔に教会に出かけていくも、懺悔するのに反抗心を感じ、とうとう懺悔せずに帰ってきてしまうヴェロニカ。その後のら夫に告白するという流れが、素朴でほっとするような逆に怖いような、なんとも言えない感じ。 「大学時代」 少年の頃の舞踏講習に貧しくも美しい仕立屋の娘のローレを参加させ、興味をずっと抱きつづけてきたフィリップ。親しくなっても、打ち解けてはくれない。それは、フィリップが医者の息子で学士さまであり、ローレが仕立屋の娘という身分の差(どちらかというと心理的な)からだった。 同じような階層の指物師のクリストフに熱心に想われながらも、それに応えることも気が向かない若い娘はダンスに明け暮れ、粗暴な若者の戯れの思われ人になり……という、現実の幸福をつかもうとしてつかめない悲しい話。 蓮っ葉といっていいのか、矜恃というのか、ローレが読者にも何を考えているのか分からない娘で、ある意味若い娘のふわふわと浮ついた様子を表しているかのようだった。 その美しさから寄ってくる男はいるけれど、育ちのいい男はどうせ上品な階級のお嬢さんと結婚するんでしょ、という結末が見えていれば、恋に遊ぶのがあほらしくなるのもよく分かる。 でも、現実的な結婚にも踏み出せない。典型的な、哀れで愚かでうつくしい女像なので、もう死ぬしかないというのはきれいな幕引きだったかと。 ローレライみたい。 2012.02.10 *Fri*
まおゆう魔王勇者5 あの丘の向こうに 橙乃ままれ
話には始まりと真ん中と終わりが必ず必要だとは思わないが、やはりそれがきちんとしていると安心する。現実の雛形を見たような気がするのかもしれない。 どことなく予定調和で、ストーリー的な驚きも意外性もなく、無様なまでの王道なラストだったが、そこが良かったと思った。 正直、三、四巻辺りの盛り上がりにテンションが上がったので、どことなく拍子抜けした感じもあるのだけれど。 何割かは犠牲となり、何割は生き残る。 それは主要なキャラにも当てはまる確率で、誰が死に、誰が生き残ったのかにドラマ性を感じていいものかどうか、悩むところでもある。 そもそも、最初から固有名詞の無い、会話文だけの形式で進む、経済や主義思想の発展を簡略化したかのような文章が土台の物語だ。 同じ役職名で呼ばれる者がいないということが、固有名を持つと同じ意味なのもしれないが、最初からその大勢いるその役職の代表として語る鍵かっこ、という意味で捉えるのならば、そこにキャラクターを感じなくても不思議てはないようにも思っていた。 …というのを裏切るのが、恋愛要素だったのかなぁと。 火竜公女と青年商人のやりとりに悲鳴を上げたり、灰青王がやばい最期かっこいいじゃねぇかよ!と突っ込みたくなったり、個人的にもせっせと頑張って生きてましたね。 丘の向こうへ行ってそこに何があったかを書き記すことが多い物語において、行こう、目指そうとすることに焦点を当てて、当て切って書かれた(書籍にもなった)という点がすごいと思う。 2012.02.06 *Mon*
百年文庫 巴 ゾラ 他
「引き立て役」 ゾラ パリでは売り物にならないものはない、ということで、醜さを商売にしようとした者の苦労とそのいきさつについての話。 短編というほどもなく、ごくごく短い話ながらこれは酷い。なんてたってブスをスカウトしてきて、それほど美人じゃない令嬢の引き立て役としてレンタルしようというのだから。 それほどブスじゃなくて採用試験されず、その美しさを売るしかなかった娘だの、ブスなことを認めたがらないブスだの、レンタルのブスよりブスな顧客だの、こんなにブス連呼される小説もなかろう。いっそ清々しいわ。 でも普通に読んでて泣くかと思った(笑)労働を消費されるのよりも、自分についている価値みたいなものを消費されるのは(しかも汚点のようなもの)は身を切るように辛い。 「さぼてんの花」 深尾須磨子 コレットの、サボテンの鼻が咲きそうだから別れた夫の元にいる娘に会いに行くことはできない、という手紙を冒頭にひきつつ、パリで出会った中年の女が若い男と親しくなっていく様をサボテンの花として重ねる。 小気味のいい、これも手紙の形式をとった文章で、あまりにもさばさばと思想をけなしてたりするものだから男かと思った。 美しくもなんともない、むしろ滑稽に醜いオーボエ奏者の若者と親しくなり、恋に落ちたことを、自嘲するように、おかしがるように、軽快に描いていく。 すぱっと、なんの不幸の、あるいは結末の予感も感じさせない。 そもそもなんで惹かれたのだとか、そういうべたべたした感情もない。おしゃれで粋だなーと思いつつ、寂しいような気もする。 「ミミ・パンソン」 ミュッセ 真面目な医学生ウジェーヌは、友人達がお針子の娘たちと派手に遊ぶのを非難めいた眼差しで見ていたが、あるときお針子仲間が貧困の中病に苦しんでいるとき、自分の一張羅を質に入れてお金を用意したミミの気概に心を打たれる。 パリ独特なのか他の国でもそうなのか分からないが、この下層のパリ娘の蓮っ葉さ、きっぷの良さ、見栄、人情……を想像すると、江戸の玄人筋の女を思い浮かべてしまう。潔くて、とにかく綺麗だったりして。 とにかく、その日食べるものが無くても、食べ物を無駄にするような派手な遊びをし、男と対等のつもりで遊んでいても困窮すれば哀れみを請う手紙を出す。 経験から学ぶことはないのだろうか、と心配するウジェーヌに、知っていることを話し、持てるものを差し出し、できることをしている彼女達にそれ以上要求するのは酷だ、という友人の最後の言葉が突き放すかのように思えて、壮絶だった。 2012.02.05 *Sun*
楽園のカンヴァス 原田マハ
美術館の監視員として働く織絵は母と娘の三人暮らし。結婚しないまま子供を産み育ててきたけれど、娘との関係がしっくりこなくなり、大好きな絵と向き合う時間だけが織絵を満たすかのようだった。 そんなある時、日本で大規模なアンリ・ルソー展を行おうとする計画が立つ。MoMAからは織絵を交渉窓口にするのならば「夢」の貸出を検討するという返事が届き、一介の監視員に過ぎないはずの織絵は十七年前のあるできごとを思い出す。 * 絵画はよく分からない。良し悪しどころか自分が好きか嫌いかも分からない、のだけれど、絵を見に行くことを「友達に会いに行く」美術館に行くことを「友達の家に行く」という表現がなんだか可愛らしくて、そんな気負いを無くしてくれた。 ただの美術館の監視員が実は若い頃は新進気鋭の美術研究家で、斬新な論文を幾つも発表していたすごい人だった、という点で盛り上げていく話しなのかと思っていたら、そうではなかった。 話のほとんどは、十七年前。 織絵とMoMAのアシスタントキュレーターだったティムとが密かに依頼されたルソーの絵の、真贋の判定にあった。 それも誰が書いたか分からない、物語形式のルソーに纏わる文章を毎日一章ずつ読み、それだけで講評をしようという風変わりなもの。 ティムと織絵、そして絵にある秘密を巡って、何人もの思惑が錯綜するサスペンスっぽい雰囲気もあるのだが、全体的には絵を愛し絵に魅せられた者達の、感傷的で傷つきやすい静かな話だった。 十七年前のから、さらにルソーが生きていた時代の手記、といった風に二段階に渡って過去に降りていくことになるのだが、確かにこれは一つの旅だなと思わせてくれる小説。遠いどこかに行ってきたような気持ちになれた。 そして、実はとてもロマンチックな大人の恋愛小説でも、あるのかもしれない。 なんにせよ、人は好きなものの話をしている時、好きなものに触れている時が一番魅力的なのだろうと思う。 2012.02.04 *Sat*
夜跳ぶジャンクガール 小泉陽一朗
姉が死んでから幼馴染の首を締めなければならない衝動に突き動かされていたアユムだったが、クラスメイトの美少女の美月がモデルガンを持って屋上に立っているのに恋に落ちてからは、その衝動が収まる。 果敢にも美月にアプローチをするアユムだが、てんで相手にされない。面白い男になれば相手にしてもらえるらしい。 そんな中起こる連続少女自殺中継事件。現場を訪れたアユムは犯人に昏倒させられる。 * 死んだ姉が普通に出てきて会話する。幼馴染の首は締める。同級生は自殺中継に萌えまくっているし、後輩の女の子はハイテンションにおかしい。好きになった女の子は非日常に憧れすぎてもはや痛いというレベルを超えている。 ……ということに、もはや説明も描写も必要ないんだなということをしみじみと感じる小説だった。 この小説の登場人物に違和感なく沿っていけるならば、この小説自体を日常として、非日常を求める渇望と不毛さを共に感じることができるだろう。 この小説自体を非日常のフィクションだと始めから思って読むと、なんだかあっという間に終わってしまったなという感想。 好きでもない人間のことはどうでもいいとか、死にたいやつは勝手に死ねばいい、他人を巻き込むな、逆ギレてんななどなど、時々いきなり感情が高ぶったかのように登場人物達が叫ぶ。まったくその通りだなという距離感でもって、読み終えた。 言いたいことを言いたい、自分の主張に相手がやられて膝をついているのを見ると気持ちいい、支配したい。という荒々しい気持ちをもっとすっきりさせて欲しかったような読後感だった。 非日常から日常に目を向けて、小さな幸せを肯定して〜って素直な方向にはどうしても行けなかったんだろうな。それを否定する性格の人物達だもんな。 折り合いをつける、程度に留まってしまったのは仕方ないとはいえ残念。 2012.02.04 *Sat*
信長私記 花村萬月
尾張の大うつけとして名高い後の織田信長の少年時代から、長年確執のあった生母と弟を人生から取り除くまでを描く。 荒々しくて、残酷で、うつけで。 人がしない突飛な行動をとり、奇矯な振る舞いに誰もが呆れ果てる。 その人物像はそのままに、それでも既存の信長像とはちょっと違う。 およそ信長ほど描くのは簡単で、だからこそ難しい(作者の腕が問われる)歴史上の人物はいないのではないかと思う。 ぱっと見て、信長らしいというエピソードが独り立ちしすぎていて、どうもその人間としての内面が見えにくいのだ。神だの魔王だの言いながら登場するとき、それはやはり歴史上の人物織田信長でしかありえない。 さて、この花村版信長は、なんだかかわいい。愛嬌があるだの子供っぽいだの、百姓女や帰蝶や吉乃にいいように転がされている。 そして、母親に愛されなかったことがどれだけ自分に影響を与えたかということから、逃げない。ここまで素直だと、逆に男という感じがしないのに、それでもその魅力は男としての魅力だ。かっこいい。 爺やである中務丞や父親、竹千代や猿や犬千代に向ける親愛の気持ちも、見ていて恥ずかしくなるくらい真っ直ぐだったりする。 それでいて、簡単に殺しちゃったり殺せばいいという論理だったりするので、その辺りの感覚には慄いてしまった。 何よりも、冒頭が、「俺は黙読ができる」なのだ。そこから始まるこの小説における信長の性格が、自然で、至極最もなように思える。 歴史小説というよりも、歴史上の人物の私小説といった風に楽しむと、とても面白かった。 2012.02.02 *Thu*
パラドックスの悪魔 池内了
古代ギリシャの有名なアキレスと亀、嘘つきのパラドックスから始まり、レトリック上の(どちらかというとユーモアや文章の装飾的な意味合いもある)パラドックス、物理学にも実はあるらしいパラドックス、生命についてのパラドックス、そして現代社会が抱える問題を語るときに無視できないパラドックス……などなど。 とにかく、いろんなジャンルのパラドックスを簡単に幅広く紹介する本。 分かりやすくはないけれど、取っつきやすいといったところか。 こういうのもパラドックスっていうのか〜と思うような例もあり、軽いコラムを読むような気持ちで読んだ。 パラドックスというと、矛盾だとか、相克だとか、いろんな言い換えができそうだが、意味は結構幅広い。 パラドックスだからおかしい、とは一概には言えず、特に痛烈な皮肉として使うときや、比喩などの修辞法として使うとき、短い文章ながら物凄い威力を発揮するものである。 また、真でもあり偽でもあるという結末は、正しいものはどこまでいっても正しい、という杓子定規な考え方に疑問を呈すことにもなるだろう。 より論理的な?シンプルな?パラドックスはよく分からなかったりするけれど、生命に関することや社会にあるパラドックスは比較的理解しやすいと思った。 毒と薬のパラドックスだとか、個人の益と全体の益のパラドックスとか。 うまく言えないが、関わる人物が増え、長い時間の範囲で考えるとき、パラドックスというのは解決できそうな気がしてくる。だからこそ、パラドックスと意識されないのかもしれない、と思った。 それを今一度、簡潔できっぱりとしたパラドックスの形に置き換えて見ることも大切なのかもしれない。 2012.02.01 *Wed*
私のおわり 泉和良
突然の交通事故で死んでしまったサヨは、あの世へ向かう途中の船から逃げ出してしまう。 密かに想いを寄せていた天霧の部屋に地縛霊のように居つくことになったサヨだったが、そこはサヨが死ぬ四日前の世界だった。 天霧のそばにいることで少しずつ心残りが消えていくサヨ。 けれど、せめて生きているサヨに想いを告げさせたいと、幽霊のサヨはいろいろ挑戦してみる。 * 帰ってきた幽霊もの、というジャンルがあるのかどうか知らないが、そういうテンプレに乗った話ではあると思う。 面白いのはあの世に向かう船が西洋の海賊っぽい船で、死神船長というオカマが水先案内人だということか。 このことは、主人高のサヨと思い人の天霧、友達?の七原などが出会ったオンラインゲームの電子海の世界ともリンクしているし、サヨが子供の頃に父親と遊びにきて溺れてしまった海の記憶とも結びついている。 幽霊として返ってきたという設定の割には、あまり切羽詰まった感じがなく、静かに寄せる波の音を聞くような、人と人の繋がりや時間の流れという大きなものを感じさせる話でもあったと思う。 幽霊となって戻ってきているのは過去、というところがちょっと面白い。魂?霊魂?だけでいる訳じゃなくて、一応過去の自分がいる。 見えなかった出来事が見えたり、知らなかったことを知ったり。悔しがったり歯痒かったり悲しかったり切なかったりするだろう、それは。 ひたすら悲しみ、悔やみ、納得していこうとするサヨの航海日誌は後悔日誌でもある。 残されたものの気持ちを考えない行動をとってしまってまたサヨは落ち込んでしまうのだが、コミュニケーションの可能性がいかに無限にあったか。それを気づかせる奇跡は、登場人物にではなく読者の方向を向いていたのだろうと思う。 おすすめ本
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