This Category : 【一般文芸】2012.05.14 *Mon*
百年文庫 窓 遠藤周作 他
「シラノ・ド・ベルジュラック」 遠藤周作 やつれた身なりながら規則正しく暮らしている老学者に下世話な興味を抱き、フランス語を教わる為に通い始めた日本人学生。 テキストとして「シラノ・ド・ベルジュラック」を暗誦させられていたが、日本人学生はシラノのモデルとなった人物の手記らしきものを発見し、文学としての修辞よりその人間の真実に夢中になる。 そのことを老学者に告げるが、老学者はそれは真実ではない、事実に過ぎないと言い放つ。けれど、彼の男と出て行ってしまった妻が自殺してしまったのだと泣き崩れる。 実際のシラノ、自分の恋心を秘めて、道化のように秘め通した話と比べると、手記の歪んだ執着の方に人間の真実を感じ取ってしまうのは容易い。 老学者はこの自分の境遇と重なるようなこの手記を、読み返したりはしなかっただろう。けれど手放すこともできなかった。 規則正しすぎるくらいにきちんとした生活の中、大事なのは正しい言葉、修辞だとする老学者を、妻の自殺は嘲笑ったのだろうか。どうなんだろう。 「よその家のあかり」 ピランデルロ 天涯孤独で家庭にも恵まれず、誰にも心を許すことのできなかった男が間借りした部屋の向かいの家から差し込む光に、言いようもないくらいの慰めを見出す。 だけで済んだらいい話であった(笑) そのことを気づかれて、向かいの主婦が「おやすみなさい」と暗闇に声をかけてくれるようになり、二人で出奔というまさかの展開に。一つの幸せなカップルが生まれ、一つの家庭が不幸せになったということか。なんにせよ、言葉と思い込みのチカラはすごい。それまで積み上げて来たものを、一気に崩せる決断ができるのだから。 「訪問」 ピランデルロ 死んだはずの美しい夫人、かつてのつかの間の恋の戯れ相手、が訪ねてくる奇妙な話。 ちょっとした恋の遊び、雰囲気、ちょっと胸元がはだけてそれを意味深に直しただけでこんなに描写ができるところがなんというか文学だなぁと思った。 その胸がなくなったのよ、ほら、と見せつけにくる死者が怖い。 「恢復期」 神西清 熱病? の療養の為に寝て過ごす少女の回復の過程、アートへの憧れの過程、そして女中と父親の愛情の関係を見て良い意味で動揺? するような話か。なんだか難しい。 肉体的に苦しんで来た少女は、父親の恋愛の場面とかみても否定的には思わないもんなんだろうか。 2012.05.07 *Mon*
夏天の虹 みをつくし料理帖 高田郁
想う小松原と添う道ではなく、己の心星に従い、料理人としての道を目指すと決めた澪。そのことを小松原に告げられず、嫁入りの段取りは続き、つる家にも新しい料理人がくる。 思い悩む澪はようやく小松原に己の覚悟を打ち明け、小松原が双方の顔が立つよう円満に解決してくれるのだが、澪の本当の苦しみはこれからだった。 * 確かにここで小松原の元へ嫁いでしまえば、女ながらにしてあさひ太夫を身請けするという待望も、天満一兆庵の再建も、行方不明の若旦那の捜索も、料理番付で勝つことも、すべてのことを途中にしてしまうことになるだろう。 それでも、嫁に行けよ!と思ってしまうのが女心かしらん。 つる家の料理を楽しみにしてる人々、気配りに感動してありがとうありがとうと言っていってくれる人、澪が女だてらに料理人をやっているのを励みにしている人はたくさんいる。 けれど、自分の幸せを追いかけてもいいんだぞ〜なんでそんななんでも背負い込むんだ〜と、不憫なのか苛々するのか訳がわからない気持ちになった。 料理人として戻ったものの、苦しみは消えず、料理番付には載らず、小松原が嫁御を迎えたと知り傷ついて嗅覚がなくなってしまう澪。本当にお客のために料理を作って来たのか、もっと勉強しなければならないことがあるのではないのか、様々な点から澪は評価に晒される。 相変わらず、種市も芳も優しく、又次も澪を助けてはくれる。けれど、立ち上がることは自分自身でしなければならない。 小さな、そして大きな、試練に立ち向かう弱々しい人間の、苦しい切ない巻だった。 それにしてもあんな形で澪の嗅覚が戻ることになるとは……。 料理はもちろん美味しそうで、シンプルな感じに戻ったように思えた。 まったく登場しなくても存在感ありまくりの男、小松原が憎い・・・ 2012.04.29 *Sun*
百年文庫 駅 ヨーゼフ・ロート他
「駅長ファルメライアー」 ヨーゼフ・ロート オーストリアの田舎街の駅長だったファルメライアーは、衝突事故が起こった際に担架に寝かせられていた女に心を奪われる。ロシアの伯爵夫人だった女は、美しく高貴で、ただそこにいるだけでその香気がファルメライアーの心を惑わせ、鼓舞するかのようだった。やがて戦争が始まり、ファルメライアーは順調に出世をし、伯爵夫人のために身につけたロシア語で諜報部員としてロシアへ行く。 運命という言葉で片付けてしまうしかないほど、単純で、一方の方向しか向いていないファルメライアーに、軽蔑のような同情のような憧れのような、そんな感情を抱く。 理由などないから恋なのかもしれないが、雨と煙、鉄道の音、単純業務の日々に突如啓示のように現れでたもの。それはたかだか一人の女に過ぎない。ファルメライアーが厭った双子の女の子だって、たかだか双子の女の子に過ぎないというのに。まったく、国によって景色が違うように、人の心も違い、何を見出すかも違うものだなと思わされる。 恋を成就させ、戦争のために亡命して、どちらかというと凡夫であったファルメライアーは執着ゆえに優れた采配ができるようになったというのに、最後は戦わない。逃げようとし、叶わなければ一人で逃げた。 傲慢な自負をもって逃げたのか、弱々しい負け犬の気持ちだったのか、それは分からない。 「グリーン車の子供」 戸板康ニ 老優が久しぶりの舞台の出演を、子役がどうも気に入らないという理由でどうも気のりがしないというのを耳にした同行者が、大阪への往路と復路でその話を聞いて行くミステリ。帰りは離れ離れの席になってしまい、それぞれの隣には女の子と和服の婦人が乗ってくるのだが、どちらにも曰くがありそうで……というところ。 これぞ短編のミステリ、そして移動する閉鎖された乗り物の中であるのにぴったりな、爽やかな読後だった。 偏見なのか思い込みなのか、自身のなさの転嫁なのか、それは分からない。そして子供の可愛らしさすら、穿った見方をすれば演技なのかもしれない。それでも、するっと引っ掛かりが解けていくように感じられてよい話だった。 「駅長」 プーシキン 鉄道ではなくて、宿場の馬を貸す?みたいな駅長とその美しい娘の話。あまりに美しいために、駅長を見下して怒鳴りつけたりする客も皆機嫌を直すという、駅長自慢の娘だったが、あるとき性質の悪い客に連れていかれてしまう。 慰み者にされて捨てられるのがおちだと酒浸りになって死んでしまった駅長の墓を、子供をつれて墓参りにきた婦人がいたらしいという話。 特に感想はない(笑) 百年文庫はこれで三十冊目のようだ。 2012.04.28 *Sat*
エムブリヲ奇譚 山白朝子
庶民が自由に物見遊山を愉しめるようになった時代、そのガイドブックとも言うべき旅の指南本、旅本を書くことを生業にしている男がいた。それが和泉蝋庵である。 彼にはとんでもない迷い癖があり、半日で到着するような場所でも三日かかることもざら。 しかもその効力は連れにも及び、たいていいつも蝋庵とその荷物運びの耳彦はぐるぐるとあり得ない場所に迷い込み、奇妙な土地にたどり着く。 そんな連作集。 なんとなく日本、どことなく和風な世界観ながら、やっぱり何かが異なる。あり得ない、おかしいようなことがぽんぽんと出てくるうちに、この独特の雰囲気と旅にいつのまにか紛れ込んでしまうようだ。 生まれる前の胎児を拾い育ててしまう話、特別な石を握って生まれてきた少女が輪廻を繰り返す話、あらゆるものに人間の顔があるように見える村、山賊に捉えられた話……などなどである。 そのどれもが、蝋庵の迷い癖のために引き起こされたことながら、けれど蝋庵自身は巻き込まれない。けっして主役にはならないのだ。 それで大抵、なにをやらせてもダメな耳彦が、巻き込まれて酷い目に遭うことになる。しかも、笑って終わらせることばかりではなく、どちらかというと教訓も何もない、ただただ虚しく重い結末ばかりなのだ。なので、話の切れ目が付けにくく、なんだかぼうっと読み続けてしまった。 また周到に、ちょっといい話、感動できる展開になりそうだと、それを避ける。抱き合う家族が見たい、幸運や幸福を喜び合いたい、という欲求は逸らされる。 むしろ、見たくない振る舞い、聞きたくない言葉が、それこそが普通の当然のことのように出てくる。 でも、そんないい事など起こらない方が、生きやすい。そんなふうにも思えた。 2012.04.12 *Thu*
美しい恋の物語 ちくま文学の森1
恋に囚われている当事者は愚かで、もしかしたら滑稽ですらあるかもしれないが、少し離れたところで見ている分には、自らの身体を燃やして死んでいく羽虫を見るような、残酷な美しさを感じる。 悲恋ばかりだけれど、悲恋ばかりだからこそ、確かに美しい。他人事、万歳。そんな恋の話を集めたもの。 伊藤佐千夫「隣の嫁」とスタンダール「ほれぐすり」は百年文庫のどれかの巻に入ってたような。 尾崎翠「初恋」も既読だけど、ただ単に恋の激しさと破滅を書いてなくて、おかしみと切なさがあるところが好きだ。 ヘッセの「ラテン語学校生」は、なんともヘッセらしい清々しい爽やかさというか。若々しさというか。 これはこれで、一種の内面を見せないという律せられた部分が、何よりの障害になるのだなと思う。優等生の思うようにいかない感じは、日本人らしい気分のつぼをつくのかもしれない。 ヘッセの小説に出てくる女のひとのしっかりしていて優美なところに、いつも憧れる。 リルケ訳「ポルトガル文」は実際の手紙?なんだろうか。 これは男に捨てられた修道女が男への恨み言を長い長い五通に渡る手紙に記したもので、最初は支離滅裂に錯乱しつつ、でもまだ好きでどうしようもなくて〜という可愛らしさがある。 それが段々、愛情が憎しみに変わっていくにつれ、書いてある内容が理路整然としてきて、とても怖い(笑) 女が怒ると怖い、という理由の一面を見たような気がする。 菊池寛「藤十郎の恋」は、壮絶というかなんというか。 恋とは、見て、見られて、の演じる要素も確かにあるだろう。仕掛けて、仕掛けられて、の遊びの要素もあるだろう。そしてそれを本気でやるのが、愉しみでもあるし醍醐味でもあるだろう。……でもなんだか腹が立つ(笑) 恋の成就が即、関係をもつことに繋がるのが面白いなと思う。 今日の小説で、想いが通じて即関係を持とう!というのもあるだろうけど、それは成就じゃなくて段階だったり衝動だったり……何か違うような。 バルザック「ことづけ」も、自分が体験した恋というより、第三者として観賞した視点なので、より美しい物語を楽しんだなというところ。 とにかく、恋というのは時間の経過に親しまないものなのだなということが分かるアンソロジーだった。 おすすめ本
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